核融合の研究を経て、今は畑に夢中 本間利久さん

 札幌市南区北の沢の畑で農産物を生産する、NPO法人さっぽろ農学校倶楽部。その代表理事を務める本間利久さんは、週に数日、真駒内の自宅から畑へ通う。首にかけたタオルで汗をぬぐう本間利久さんを見て、彼の経歴を想像できる人はいないだろう。

 

 本間さんは、現在の北一条宮の沢通の知事公館のあるあたりで生まれ育った。戦後、5歳頃の記憶として、進駐軍の戦車が移動のために北一条宮の沢通を走っていたのを覚えている、と話してくれたのは、今や貴重な体験談だろう。

 小学四年の頃には、豊平川で溺れそうになっているところを真駒内に進駐した米兵に助けられたこともある。「現在、真駒内に住んでいるのも何かの縁かも」という。

 小学校の一年生の途中で豊平区の水車町へ引っ越すも、時計台の隣の小学校や植物園の裏の中学校が気に入って、その当時バスで通って卒業したのだとか。

 

 そんな本間少年は成長し、札幌南高を卒業後、北海道大学工学部電気工学科に入学。核融合に関する研究をして博士号を取得し、大学院の助手になった。

 その後はそのまま北大の講師、助教授、教授を務め、その間には、アメリカのボストンにある、MIT(マサチューセッツ工科大学)へ1年行った。そこでなんと、あの「はやぶさ」に載せるイオンエンジンの研究をしていたという。小惑星「イトカワ」へ行った、小惑星探査機「はやぶさ」である。

  帰国後今度は、シベリア、アラスカ、インドネシアへ飛んだ。地球温暖化対策における森林火災の研究をするためだ。

 

 聞けば聞くほど驚きの連続。そんな立派な経歴の持ち主であるのに関わらず、偉そうな口ぶりは一切無く、終始笑顔でお話をしてくださる本間さん。

 世界をまたにかけて、研究の日々を送っていた彼が、今はなぜ、畑で野菜を育てているのだろうか。

 

 そのきっかけは奥様だった。64歳で大学を退職した後、「今後は自分のことは自分でしてちょうだい」と“自立”を促された。食事も自分で作る事になり、さて困ったと、奥様のすすめる料理教室に通うことにした。そこで一緒に受講していた人の一人が、自作の野菜を持ってきて調理していた。それを見た本間さんは自分でも野菜作りをしてみようと、2018年に東区にある「サッポロさとらんど」の市民農園に応募したところ当選。(それから毎年当選しつづけて今でもそちらでも野菜を育てている。)

 

 しかし当初は野菜がうまく育たずに苦戦していたところ、さとらんど内に、札幌市農業支援センターがあることを知る。そこには、新規就農者支援のための座学と実技の専修コースがあり、入門コース1年を修了してから、さらにそこに1年通うことにした。本間さんは18期生だった。

 その頃、その農業支援センターへ、今は本間さんが代表理事を務める「NPO法人さっぽろ農学校倶楽部」の紹介をしに理事が来たことがきっかけで、2020年、同NPO法人へ入会。このNPO法人は、実はその農業支援センターの専修コース1期生から5期生の方々が立ち上げたものだった。

 入会3年目の昨年、本間さんは6代目代表理事に就任した。実はこちらの「NPO法人さっぽろ農学校倶楽部」の活動内容がとても魅力的なのだが、ここで書ききれないので次回に掲載しようと思う。

 

(文・写真:宮崎加名代 もいわ塾2期生)

NPO法人さっぽろ農学校倶楽部 事務局

〒007-0847  札幌市東区北47条東1丁目1-30-105

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圃場:札幌市南区北の沢1865-5